

第10回
企画生産部
土橋 俊之
20年以上前、散歩中にふと入ったセレクトショップ。オーナーをしていた彼とここまで長い付き合いになるとは当時は思いもよらなかった。その後、彼は色々あってセレクトショップを廃業し、ラーメン屋をやることになるのです。それもなんと4回も!
よくよく聞くと、彼はファッションデザインの学校を出て服飾業界に就職。数年間の営業職を経験したものの実家が飲食業を営んでいたこともあり、自らラーメン屋を出そうと決意。まずは開業資金を貯めるために宅配便業者で働くことに。
当時の宅配便業界といえば絶頂期で月100万円近く稼げたといわれる時代。但し病欠すらも許されず、遅刻をすれば全員分の飲み物を奢るルールや、お客様からいただいたバレンタインのお返しには強制的に会社が用意した品を買わされるなんてこともあったとか。今では信じられない話ですけれどね。
そんなこんなで数年でラーメン店の開業資金の一部は無事に貯まり、試作を重ね、目指していた3種の醤油ラーメンが完成!さて次は、仕入れや味以外でのノウハウを得るために某ラーメン店で働き、経営の面でも何となく目処が立つ手応えを得て物件探しへ。そして2000年春に馬込の環七沿いで「ラーメン醬屋」を開業。これが最初のオープンでした。


当時3種類の醤油ラーメンというのは無かったので、本人的にも勝算はあったようです。予想通り瞬く間に店は大繁盛。
美味しさは勿論のこと、珍しさもありメディアにひっぱりだこの状態。誰もが知るテレビの大人気情報番組や、グルメ雑誌、そしてなんと業界トップクラスの大手企業とコラボし、CMにまで出演しました。
テレビに出るとその日からしばらくは大行列。メディアの力を知ることになるのでした。お店は日々大盛況だったのですが疲労も重なり体調不良となり、まさかの閉店になってしまうのでした。


その後、また原点に戻って洋服屋を始めたものの、周囲のアドバイスもあり再度ラーメン屋をオープンすることに!それが本人の名前である「幹哉」から取った屋号「みき屋」です。
あっという間にその名前は世間に知れ渡り、またもマスコミが押し掛け連日の大盛況でした。この2度目のオープンをした場所が当時私が住んでいたところから5分程度のところだったので週末などにたまに手伝うようになりました。
思い返せば色々なお客様がいらっしゃいました。飲食店でアルバイトをすることが初めてだった私は驚きの連続でしたが、いわゆる「飲食店あるある」だとはよく言われました。少しエピソードをお話しすると…
初来店のお客様から「おすすめはどれですか?」と、よく尋ねられるのですが、店としてはそもそもお勧めしないものは出さないし、3つのラーメンそれぞれ全く味が異なりどれが突出して売れているということもなく平均的に出るので「おすすめはありません」と答えていました。お客様は「おすすめがない」と言われるとは思ってもいないようで、その回答に皆さんが驚かれました。ですが常連さんによっては「黒」しか頼まない方もいらっしゃるし、店としては答えようがないのです。「味の違いは券売機の前に書いてあるのでそちらを読んで判断していただけますか」と、丁寧にご案内をしますが、違いを読んで決める人もいれば、その場で怒って帰ってしまう人もいました。
たまに手伝っている私が何回か目にする光景ということは、その何倍もこのやりとりを彼はしている訳です。
今では「カスハラ」という言葉も浸透してきましたが、そんな言葉もない当時は随分色々なお客様ともたくさん接してきました。事前に混雑時のご案内ルールを説明しているのも関わらず「後ろの1名様を先に通していいですか?」と聞くと怒って帰る団体の方々。食べることに飽きてゲームをしている子どもの丼をさげようとすると怒る親。そしてスマホに熱中していていつまで経っても丼の中が減らない方が本当に多いこと!また、数名で来店されて「隣同士じゃないと嫌」という人達も困ったものでした。カップルやお子様連れの家族なら分かりますが、いい年齢をした大人同士がラーメンを食べる間のたかが15分程度でも離れたくないなんて!と、個人的に驚いたり。
彼のモットーは…
・美味しいものを早く提供する
・とにかく店を清潔にする
ということだけなのです。


同じラーメンに見えても、当日の天候や気温で茹で時間やかえしの量を微妙に変えたりしていました。
出来合いを仕入れれば簡単に済むメンマも味が気に入らず自ら作っていました。そんな風に心を込めて一杯のラーメンを作って、いち早くお客様のもとに提供しても外で長電話をしていたり、トイレからなかなか出てこなかったりという人も多いのです!スマホばかり見ていて全く箸が進まない人もとにかく多いのです。その日の最高のものを最速で提供しても意味がないとガッカリする彼の姿を何度も見てきました。
たまには変わったものも出さないとお客様も飽きるかなと思って期間限定で何種類かの限定ラーメンも作りました。


辛いもの好きのための辛いラーメンや黒胡麻坦々麺。夏はトマト丸ごと一個入った冷たいトマト麺。コロナの時に免疫力を高める背脂生姜等。通常の仕込みの他に手間がかかりますが年に数回色々やっていた中で個人的に一番好きだったのはグリーンカレーラーメンでした。

これはお世辞抜きでホント美味しかった!残ったスープでライスが欲しくなるため途中から小ライス付きに変わりました。これらの限定ラーメンは全てベースが白醤油ラーメンでした。彼曰く、白醤油ラーメンは何にでもマッチングし、これに違う要素を足すだけで完成度が高いものができたとか。個人的に思うには、白醤油ラーメンは出汁で食べるラーメンといったイメージなので裏方に回ってもいい仕事になるんでしょうね。ちなみに白醤油が一番塩分が高めだそうで、汗をかく暑い夏場はスープを飲み干しても問題ないのですが、それ以外の季節のラーメンは塩分が凄いから皆さんご注意を!
「うちは最高の昆布に最高の煮干しに最高の塩を使ってるから最高なんだよ」という店、ありますよね。「最高の足し算をすれば最強」だと。確かにそうかもしれませんが、最高同士を合わせれば常に最高かというのはちょっと疑問です。相性みたいなものがあるから、高い素材を使えばOKというのは必ずしもそうではない。その分価格が上がりお客様の負担になる訳です。店は価格や相性、作りたい味の狭間でやりくりをします。今は何でも価格高騰で1,000円超えラーメンも珍しくなくなりましたが、やはり1,000円の壁は最後まで意識してました。
海苔の確保も大変で、黒々した海苔はその分密度があるので価格にも反映され、今までのような質の高い海苔は高額なのだそうです。
とても流行ったお店だったのですが、もっといい場所でカウンターだけの小さい店でやりたいという思いが強くなり、なんと彼は店を売りに出しました。売れるまでの間に2.5度目は桜新町で営業。
やがて店が売れて少し資金ができ、3度目は下高井戸でオープン。

アルバイト募集をかけたものの全然人が集まらないとのことで、ここまできたら腐れ縁で、家から離れた場所になったけれどお店を手伝うことになりました。「醬屋」の復活というイメージで始めましたが、
この時、コロナの猛威が襲ってきたのでした。客足は落ち、さすがにコロナという特殊な状況では太刀打ちできません。家賃交渉が上手くいかず一時閉店することに。すぐに新しい場所が見つかると踏んでいましたが、店に合う条件の物件が見つからないまま1年が経ちました。
この間に何もしない訳にもいかず、他店で働きながら勉強をしたり飲食物の配達業をやったりしながら彼は新物件を探していました。ある日、配達途中の駒沢でやっと自分に合った規模と家賃の物件が見つかり以前お弁当屋だった内装を一からやり直して、2022年の秋に4度目のオープンをしました。腐れ縁はまだ続き、またまた私はお店を手伝うことになるのです。


4度目の店も大繁盛をして張り切って経営をしていたのですが、昨年交通事故に遭い怪我をして入院したところ、偶然にも他の病が見つかり通院治療をすることになってしまいました。治療に専念することになり先日やむなく閉店をしました。
元気になったらまたいつかラーメン屋を始めてもらいたいところですが「今度何かを始めるとしたら違うことをしたい」と言っていました。彼の人柄が窺えるエピソードがあり、閉店間際の頃は常連さんからの差し入れの嵐でした。週末は置く場所に困るくらいの差し入れの山になってました。「また食べたいのでいつかオープンしてください」と、涙するお客様もいらして感動しました。
彼との出会いで私はHiRASAWAとラーメン屋の二足の草鞋を経験することになり、体力仕事で大変だった面もありましたが何度も彼の熱意に惹かれてラーメン屋を手伝ったのは良い思い出です。
最後になりますが、よく「ラーメン屋をやらないの?」と、聞かれるのですが…「やりません!」「できません!」。体力は勿論のこと、気力も相当ないと出来るものではないです!
完

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